縫合レポート〜救急車で運ばれてみよう!〜

2004年の6月頃、あたしは適応障害の最高潮に達していた。
毎日続く不安感。両親の不和。理解のない弟。
リストカットを初めて覚え、手首をデザインカッターで切り裂いては、泣き、ラグナロクオンラインで知り合った友達にMSNメッセンジャーで泣きつく毎日だった。
薬は一向に効かず、両親はあたしの辛さをわかってくれないどころか、どちらのせいであたしが精神病になっただのと罪を擦り付け合う日々。
そんな折。
ふと、尋ねたメンタルサイトの日記にこんなことを見つけた。
覚えていないので、大体の雰囲気で説明すると、「リスカをしたら、脂肪のつぶつぶが見えた。病院行ったら縫われた」そのような記事だったと思う。

その頃のあたしは、すでに貝印でリスカをするようにはなって、力をあんまりいれず、手首の左上から、右下に向かって、斜めに切り裂いていた為、傷口は裂けても、深く切れたことはない状態が多かった。

『あたしも縫われてみたい』

いつしかそう思うようになっていた。
縫われる為には、深く切らなくてはいけないと、その時は思い込んでいた。
傷口が裂けているから、縫い合わせて接合させるっていうのが縫合の目的なので、今考えると深く切る必要は何処にもなく、あの時のリスカの現状でも充分縫合してもらえたとは思うけど。
でも、その時のあたしはとにかく深く、脂肪が見えるくらいまで切らないと縫ってもらえないと思い込んでいたようす。

そして、それを決行しようとしたとある日の夜。
その2日前にそれまでで一番酷いリスカ(とは言っても今やっているリスカから比べると浅い)をしてしまい、思いっきり裂けていたのだが、深くないからこれじゃ駄目だと思っていたので、貝印を手に取った。
とりあえずあたしは考え出したら猪突猛進なので、日記で見た脂肪見えた→縫われた=脂肪が見えるまで切らなきゃ縫ってもらえない。と思っていたよう。
そして、手に取った貝印をそっと腕に当てた。
しかし、
その日は別段特別鬱というわけではなかったのと、今まで以上に切ること、腕に沿って垂直に切ること、つまりは新しいリスカをすることにとまどい、恐怖していた。
なかなか、貝印をもった手が動かない。
血がたくさん出た時用にタオルまで用意しているのに切り裂けない。
あたしは自分に言い聞かせた。

(「そうだ、お風呂に入ろう。血行をよくした方がたくさん血が出る」)

そうして長い長いお風呂に入り(約1時間)
風呂上りにCDプレーヤーでヴェートーヴェンの「月光」をかけた。
静か且つ厳かで、何処か鎮魂歌のような曲が部屋中に流れる。

それでもあたしは切れずにいた。

(「このメロディーが終わったら」)
(「もう一回ループしたら」)

そうして9時頃から2時間ほどそんなことを考えながら戸惑っていた。
しかし、もうこれ以上だらだらとしていると折角決行を決めたのに未遂に終わってしまう。
そんな思いから、まず2日前の傷の下に、ぐっと力を込めてまっすぐ真横に剃刀を引いた。
斜めに切るよりもあっさりと手首は切れ、そして裂けた。
血もたくさん溢れてくる。
あたしは、一度切ったらあとはもうどうにでもなれー!とかいう性分なので、続いて二本目も切った。
また裂けて血が出る。
でも、どちらの傷も、脂肪まで達していない。
三本目に賭けましたが、やはり、脂肪まで達していなかった。

そこであたしは、ある決断をした。

(「二度切りをすればいい・・・」)

今でも二度切り、三度切りはたまにしますが、恐怖が伴う。
それをよくもまあ、実行できたものだなぁ。
3本目の傷口に剃刀を刺し入れ、月光の最高潮のリズムと一緒に、一気に切り裂いた。

ぱっくりと、今まで以上に裂けた傷からは、確かに黄色い粒々が見えていた。痛さなんて吹っ飛ぶほど意気揚々としたあたしは、なるべく暗い声で、しまった感が出るよう、演技をしながら、母親の部屋へ言って、暗く呟いた。

「お母さん、切りすぎた」

今しているリスカからしてみれば「へ」みたいなものだが、当時では確かに切り過ぎてはいた。
驚いた母親は、すぐに救急車を呼んだ。
5分もしないうちに救急車はやってきた。
あたしは血まみれのタオルで腕を覆いながら救急車に母親と一緒に向かう。
驚いた父親が家から飛び出してきて、リスカが原因だと分かると、苦虫を噛み潰したような顔であたしの頭を撫で、家へ戻っていった。

救急車は母親の指定で、一番近い救急指定の整形外科へ行くことになった。
血まみれタオルの下の傷はすでに血が止まっており、二回切った場所ももう肉にまみれて脂肪は見えなかった。

血まみれタオルは救急隊員さんに処理してもらうことにし、夜間の暗い病院に足を踏み入れ、処置室へと足を踏み込みこんだ。
夜間の先生は、あたしが来た理由がリスカだったからか、日も超えそうな時間に来たのを迷惑と思ったのか、元々なのか、とても不機嫌そうな顔であたしの処置を始めた。

まずベッドに寝かされ、2日前の傷のこともあって、輸液(点滴)用の入れ物に入っている生理食塩水でじゃばじゃばと傷口を洗い出した。勿論生理食塩水なので痛くない。
途中で、2日前の傷を指差し、
「これは?ちょっと古いけど」
と聞いてきたので、
「2日くらい前に切ったやつです。そこは縫わなくてもいいと思うんですけど、浅いですし」
そう言ったところ、とても不機嫌そうに、
「でも洗ったら血ぃ出てきたよ。縫わな」
と言い放った。
あたしは素直に従った。

それから、一人で麻酔の用意をし、多分、リドカインだと思うが、ブロック麻酔をされた。
ブロック麻酔は、傷口の周りに沿って注射を何回もし、傷口が見えている場合、傷口にもしゃーっと麻酔をかけてやる、一番縫合が痛くない麻酔法。
それから手袋をはめ、黙々と、何も言わず、腕を縫っていかれた。
針が刺さる感触、糸が通る感触、結び目を作られる感触はあるけれど、痛みがないので、変な感じ。
途中、ぢくっと針を刺した瞬間痛みを感じた。
思わず、
「・・・・いたっ」
と呟いたところ、
「あぁ、麻酔かかってなかったかもね」
と冷淡に返され、何だかすごくリスカをしたことを責められている気分になって、一気に沈んだ。
合計17針縫われ、縫合は終わった。
窓口は閉まってましたが、母親は清算か何かをしていた。

救急車で来たので帰りはタクシー。
特に何もしゃべらず、母親と家まで帰った。

縫合後は、毎日処置に通い、ちょうど1週間が経った日に抜糸された。予想していたよりも全然痛くなかったので拍子抜けした記憶がある。

今でもこの時の傷痕は初縫合ということと、綺麗に縫合の糸痕まで残っていることから、上からリスカをすることなく残している。
今はもう白い目立たない傷痕になったが、それでもお酒を飲んだりすると、赤く浮き上がり、その度に思い出に浸ってはにやける日々が続いている。

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